satoyamahanako’s blog

里山で炭を焼いて暮らしています。

移住なんてしたくなかった その4

むかーし昔、わたしが幼いころ、近所には田舎から出てきた人が大勢住んでいた。
そのうちの一人、あるお姉さんが話してくれたことだが、「わたしは何があっても絶対田舎には帰らない。好きな服を着ているだけで、変な目で見られたり怒られたりする。わたしは好きな服を着て歩きたい」
そのお姉さんはシングルマザーで、田舎に帰るくらいなら、とホステスさんをして子供を育てていた。
ホステスさんも当時白い目で見られがちな職業ではあったかと思うけれど、それよりも田舎の白い目のほうが白かったのだろう。
たしか彼女は派手な色のミニスカートを履いていた。

そういえば、うちの村の人はみんな揃って同じような恰好しているなあ。
下北沢なんてパンクスのすぐわきを着流しの渋いおじさんが歩いていたりしたけど、そういう光景はありえない。
ゴスロリの人も村には帰ってこないかもしれない。

村に住み始めて何年もわたしを苦しめたのは、村全体が同じようなカラーで完璧に調和している息苦しさだった。
調和し過ぎて破綻というか異端が存在しないのだ。
たとえば緑なら緑のバリエーションはあるのである。黄緑色から深緑色まで。
緑に調和する色もある。漆の赤とか銀杏の黄色とか。
でも金色とかショッキングピンクとか、そういう色は存在しない。
みんなが同じような恰好していて、パンクスとかゴスロリは存在しないみたいに。
この村で暮らしていくには自分の中の金色とかピンクとか表に出さないようにしないといけないように感じられた。
狭い部屋に閉じ込められて出られない気分だった。
おまけにここは山村なのだ。
周囲を山に囲まれて視界も遮られ圧迫感があった。
都会だと調和はしていないかもしれないけれど、いろんな色が存在して楽しかったのになという思いが去来する。
この部屋に飽きたら別の部屋に行ける、そういう身軽さも都会にはある。
そうすると、化学物質過敏症でなければな、都会に住み続けられたのにな、移住なんかしたくなかったのにな、という考えに取りつかれ悲しくなるループに陥る。
移住して良かったと腹の底から思えるようになるまで10年かかった理由の一つがこれだ。

そのうち慣れたけど、今になってやっぱり内なるピンクを出していこうと思うようになった。
村で生きていくんだという覚悟がさらに固まったからじゃないかと思う。
なにかを隠していては地に足をつけて胸張って生きていけないでしょう。