satoyamahanako’s blog

里山で炭を焼いて暮らしています。

地域の宝~感じ方の違い

うちの村は水源の村で、水源は保安林で守られている。
そもそも村内の山のたしか9割以上が保安林なのだ。
また炭焼きやシイタケ生産者がいるおかげで、20~30年に一度雑木林を伐採するという里山の営みが(かろうじて)残っている。
20年近く前に国連が行った生物多様性に関する調査で、日本の里山生物多様性を保持する区域であると認められた。

ね、国連が認めたんですよ、里山は世界に誇れる財産なんですよ。
水源地で保安林で里山保全の仕組みまで三拍子揃って持っている自治体は日本広しといえどもほとんど無いと思いますよ。
里山保全に関心を持っている人からは、うちの村には炭焼きがいて羨ましいって言われるんですよ。

というようなことを、地元の人と移住促進イベントについて話している最中に熱く語ってみたのである。
返事は「へー。へーとしか思わない」であった。
そうでしょう、そうでしょう、そう言うと思ってました。
「だって山は昔からあって、ただの山だしさ」
ただの山が宝なんですよ、わたしはそのただの山をただの山のままで残したいんですよ。

地域創生の頃に建てられた温泉施設とか観光施設、村にもそういうのがありますが、それらは「うちの村にもこういうのあるぜ」と住民がプライドを持てるから、その価値を理解できると言う。
でも山は「へー」なんだって。
ここらへんの感覚はわたしとは全く違う。
わたしにとっては温泉施設のほうが「へー」だ。
わたしは村の温泉の常連客で、採算取れているのか危ういらしいその温泉施設がなくなってもらっては非常に困るのだが、そんなわたしがひいき目に見ても、他所の温泉地の温泉のほうが魅力的に映る。だって泉質が良いんだもん。
うちの村の山は違うよ?
三拍子揃ってるんだよ?
世界クオリティだよ?
なんでプライド持てないかなという不思議。

この種の不思議は炭焼きに関してもあった。
職業カーストというものがあるとしたら、炭焼きは最下層の仕事なのである。
村ではね。
昔の山村の生活技術の延長にある仕事なので、誰にでもできる仕事=バカでもできる仕事と軽んじられてきたのだ。
頭の良い人はネクタイしめて屋内で働くのです。
移住して数年は、会う人会う人に「大学まで出てなんで炭焼きなんかやるんだ。あれはバカがする仕事だ」と言われたものだ。
「炭焼きは素晴らしい仕事です」と胸を張って答えてきたが、理解されたためしはない。
とはいえ最近では少し風向きが変わってきた。
マスコミでも注目されることが増えてきたし、炭焼き移住者も後を絶たないので(といっても年に1人か2人だけど)、どうやら村外では炭焼きは頭の良い人でも憧れる仕事らしい程度には認められるようになってきた。

15年費やせば、ただの山も地域の宝としてちょっと認められるようになるかもしれない、ということだ。
希望はある。