satoyamahanako’s blog

里山で炭を焼いて暮らしています。

僕らはみんな生きている

「虫が嫌いだから田舎暮らしはできない」という人がいる。
わたしも虫は好きではない。
なにが嫌かって、まずコミュニケーションが取れないところ。
こうしてパソコンに向かっていると突然、腕にガシャガシャした感触がある。
ナナフシ!
なんでわたしの腕にしがみつくかな?お前の居場所は外だ、と表に出す。
東京に住んでいたころ、ママチャリで近所に買い物に出かけたら突然、腹をはい回る奴が出現、ゾウムシみたいな顔をした甲虫だった。
Tシャツの中で外に出られず困っていたらしい。わたしだって困ったよ。
こんなふうに傍若無人にかかってくるところが嫌なのだ。
それにあの細い足が皮膚をカリカリとはい回る感触の気持ち悪さ。ああ嫌だ。

だから、♪ミミズだーって、オケラだーって、アメンボだーってー、みんなみんな生きているんだ、友だちなーんだー♪という歌を耳にするたび、なにをきれいごとを、と思っていた。
友だちになれるわけがないでしょう。

ところがところが、田舎に暮らして数年経つうちに、友だちとは思えないけど、必死に生きるもの同士としての共感みたいなものは感じるようになってきたのである。
つまり、わたしは知り合いもいない慣れない土地で慣れない仕事をして何年間も毎日必死だった。田舎暮らしなんかしたくなかったけど生きていくためにはそうしなきゃいけない。炭焼きみたいな肉体労働をするはめに陥ろうとは想像だにしなかったけど生きていくためにはやらなきゃなんない。自分の持っているもの、脳みそも肉体も五感も感情も全て、使えるものは全部使って、なんとか新しい生活を創り上げようとしていた。毎日疲れていた。家事をしたくなかった。温泉旅行にでも出かけて休みたかった。安定した売り上げを上げられるようになりたかった。方言がきつくて時に100%理解できない地元の人の話を理解できるようになりたかった。良い炭を焼きたかった。牛乳1本買うのに悩みたくなかった・・・もろもろもろもろ。
虫に限らず動物も植物も、自然界で生きるものは全員、大雨だ台風だ日照りだ天敵だ縄張りだ農薬だなんだと、何があってもその都度全力で己の生を全うしようとしている。
そんな姿が見ようと思わなくても目に入ってくる。片足ないバッタや、「ここはあたしの陣地だからっ」と場所取りに余念がない植物たちや、恋人を求めて光る蛍や、猫から逃げようとするネズミや、子連れのコジュケイや、しょっちゅうわたしに巣を壊されているクモや・・・
必死さにおいて、わたしたちは同士だなと思ったのだ。
だからと言って相変わらず好きではない。親しくはなりたくない。いきなり体につかまってくるし、カシャカシャした足で這いまわるし。
でもわたしたちは違いを超えて認め合える同士になった・・・って書ければ恰好がいいけど、虫たちは別にわたしのことなんか気にもとめてないのよね。