satoyamahanako’s blog

里山で炭を焼いて暮らしています。

お地蔵さんみたい

うちの村への移住を決断した大きな理由のひとつは炭焼きがいたからだけど、炭焼きがいる村は他の地域にもある。それはわたしたちも知っていた。
こういう場合、他の地域も訪ねてみてから決めたほうが後悔が少ないはずだ。なにしろこれから先の一生を過ごすことになる土地であり仕事である(たぶん)。化学物質過敏症のわたしたちは仕事選びも土地選びも選択肢が少ない。どこにでも住めるわけではないし、どんな仕事にでもつけるわけではない。慎重に検討する必要がある。

分かっていたけど、炭焼きの村一ヵ所目で決めてしまった。
決め手は村の年寄の顔だった。お地蔵さんみたいな、ありがたーい顔の年寄がやたらといるのである。無邪気というのか無防備というのかペルソナが一種類しかないというのか表現が難しいのだけど、日本昔話に出てくる良いお爺さんお婆さんみたいなのだ。「かさこ地蔵」とか「こぶとりじいさん」とか思い出してみてください。ペルソナないでしょう?
こんな顔を見たのは初めてだった。それが一人じゃなくて何人もいる。
彼らの顔を見て「降参」という気持ちになった。もうここに決めます。

どうやったらあんなふうに年を重ねられるのだろうと不思議だった。苦労してないからではない。働きづめに働いてきた人たちである。

想像するに理由のひとつは、きちんと泣いて笑って怒って喜んできた。自分の感情を押さえつけたり捻じ曲げたりしてこなかったんじゃないか。感情を吐き出し共感しあえる場が、家庭にも家庭の外にもあるからじゃないか。家庭の外といっても、村中全員親戚みたいなものだから、大きな家庭といってもいいのかもしれないけれど。こんなふうに安心して感情を出せるものなんだなあと思ったものだ。
それからペルソナに縛られていない。〇〇という役割を担っているときはこうでなければという窮屈さがない。いつも自分自身であるように見える。村に生まれてずっと村で暮らし、同じ村の人とずっとつきあっていると、ペルソナってそんなにちゃんと持てないのは確かだ。どうしても地が出ます。
もうひとつは、資本主義にさらされていないというか、働くこと自体の喜びから働いている感じがした。お金の匂いがしないのである。口ではお金お金と言うんだけど、やっていることはお金を稼ごうとしているとは思えないときが多々あった。
当時は杉材の値段がとても安かった。手入れすればするほど赤字になるのだが、杉山を放置する人はいなくて、丁寧さに差はあれ、きちんと手入れをしていた。田んぼだってそうだ。赤字になるのに毎年きちんと田植えをし世話をする。なかには江戸時代からのやり方を続けている人もいた。トラクターやコンバインを使うと田んぼが痛むからと手作業にこだわっていた。
お勤めではなく、家業として働いている人がほとんどだったから、そんなふうでいられたのだとは思うけど、それにしてもね。お金お金って口を酸っぱくしてわたしたちに言うわりに、損益について大雑把すぎる。

日本昔話のおじいさんとおばあさんは物語の中だけの人物像だと思っていたけど、実在したんだなとびっくりしたものだ。