satoyamahanako’s blog

里山で炭を焼いて暮らしています。

諦めてもらうための10年

ブログを書くようになって、来し方に思いを巡らせることが多くなった。
そしてこの15年は、村の人や炭焼きの人たちに認めてもらうための15年だったなと思いいたった。
村の人に対しては、(あんまり付き合いはよくないかもしれないけれど)元気に挨拶する、共同作業にも必ず参加する、村の風習は尊重する、男とか女とか年齢とかで役割が明確に分かれているのは趣味に合わないけれど、郷に入れば郷に従え、わたしはおとなしくしてます、とやってきた。実際言いたいことも夫以外に言わずにいたら、ここにきていい加減苦しくなってきたのは前にも書いた通り。
村の選挙で、選挙事務所の役目を仰せつかったくらいだから、それなりに認めてはもらえてるんじゃないだろうか。
炭の仕事に関しては、一日も早く周囲に一人前と認めてもらえるよう頑張って働いた。周囲の方々の協力も得られるようになって、イベントを成功させたり、新人さん研修のための補助金制度導入を実現させたり、達成できた目標はいくつかある。

それなりの達成があって、ここらで方向転換したほうがいいんじゃないかと思い始めた。これまでの「認めてもらおう路線」を続けても楽しい未来はやってこないなと思ったのだ。ある程度は周囲に認められた、つまり土台はなんとか作り上げることができたのだから、ちょっとここらで飛び跳ねてみたいなあ。

先日、村外の人とわたしの炭切マニアぶりについて話していたら、「それはもう変態ですね」と言われて、新鮮な驚きを感じた。
「変態ですか?わたしとしては仕事としてお客様に提供する以上、当然のことをしていると思っているのですが、分かってくれる人が周りに1人もいないんです」
「変態の仕事だからですよ。変態は全人口の1割もいないんです。世の中変態ばっかりだとめちゃくちゃになっちゃいますからね。9割の普通の人が世の中を回してくれているんです」
そうだったのか・・・自分を基準に考えると、炭切を大切にしない周囲の炭焼きのほうがプロとしてどうよ的感じなのだが、どうかしているのはわたしのほうだったか・・・いや確かに、売値に合わない手のかけっぷりではある。うちの時給はむちゃくちゃ安い。時給に見合うように働くのが資本主義社会の生き方かもしれぬ。
しかしだよ。それで面白いのか?
そんなことしてたらせっかくの仕事がただの作業になっちゃうでしょう。ただ手を動かしているだけで、なんの創造性もないでしょ。お客さんのこととか燃え方とか想像しながら最善手を探って炭を切るのが楽しいんだから。

話しているうちに分かったことだが、わたしを変態だと言うその人もどうやら変態で、その人の連れもまた変態なのだった。同類のせいか、わたしの仕事を面白がり評価してくれる。
こういう人たちとの会話にわたしはとてもとても飢えていた。

決めたのだ。
これからの10年は周囲の人に諦めてもらう10年にする。
だってわたしは全人口の1割側の人間なのだ。変態なんだから仕方ない、と諦めてもらうことにする。
わたしは変態として開き直り、全力疾走する。今まで普通の人であろうとしてたから、周囲の目を気にして思う存分突っ走ることができなかったのだ。
もうこれからは走るよ。
すごく楽しみ。