satoyamahanako’s blog

里山で炭を焼いて暮らしています。

雪虫のころ

雪虫のころ」というのは、大昔に観た映画のタイトルだ。いくつかのシーン以外、内容は忘れてしまったけれど、タイトルだけは忘れない。
ゆきむしのころ、という響きが好きなのだ。ふんわりとした、やわらかい雪がひらりひらりと舞い降りて来て、手の上で溶ける、そんな場面を思い出す。

映画を観たころは雪虫を知らなかった。
それが初雪の前にいっせいに現れる小さな虫のことだと知ったとき、ちょっとがっかりした。想像していたほどロマンチックな生き物ではなかった。小さな綿毛をつけた、1センチにも満たない虫。遠目に見るときれいかもしれないけど、その場にいると、服にはくっつくし、目や口には入るしで、虫嫌いとしては避けたい生き物。
響きに騙されてたなと思った。

雪虫しろばんばのことだと知ったのは、後年、東京に住むようになってからだ。井上靖しろばんば」。最初に読んだときは、しろばんばが何者なのか、さっぱり分からなかった。あぁ、なんだ、雪虫か。伊豆にも雪虫がいるんだ。
雪虫と知ってから読むと、しろばんばと戯れる子供らの姿が急に鮮やかな色を持つ確かな場面として立ち上がった。虫のひと群れ、しっかりとした体験として識っていると、こうも違うのかと驚いた。(だから、「ゴッズ・オウン・カントリー」を通じて、少なくともヨークシャー地方の風の激しさを見知った今、「嵐が丘」を再読すると、さぞかし臨場感を味わいながら面白く読めるだろうと思う。思うのだが、年齢のせいか、読書するなら、「明るい暖かい快適ハートウォーミング」な世界へ逃避行したくなり、どうしても「暗い寒い凍える冷たい風が強い」場所には行きたくない。というわけで読めていない。鴻巣友季子訳で読んでみたいんだけど・・・)

東京でも時期になると飛んでいた。寒さがぐんと厳しくなる直前だ。「一回でいいから雪虫を見てみたいんだよねぇ」とうっとり話す友人に、「いるよ、寒くなる前に飛んでるよ」と教えたけど、分からなかったみたい。北国のように大量に飛ぶわけではないからかもしれない。

九州でも見かけた。地元の人に教えたら、へえ、これが雪虫?これはお茶の害虫だよ、見かけたら殺さなきゃと思ってたと言うので、ところ変わればだなあと妙におかしかった。「雪虫」と教えられたら、なんだか殺しにくくなったとも言っていた。その人も「ゆきむし」の響きから、ロマンチックな思い入れを持っていたのだ。