satoyamahanako’s blog

里山で炭を焼いて暮らしています。

タロット無料講座

ムンロ王子のインタビューを見たのがきっかけでタロットカードを買ってみた。
数か月前のことだ。
ムンロ王子いわく、タロットは当たるらしい。参考書片手に初めて占ったときでも恐ろしいほど当たったそうだ。
そんなふうに聞くと、やってみたくなるじゃないですか。
ムンロ王子の著作も購入し、おそるおそるカードを並べてみる。解説読んで、分かるような分からないような・・
でもなんとなくこういうストーリーかな?というのが見えてくるときがあって、それがとても面白かった。

そんなとき、タロット占い協会というところが無料講座を開催すると知り、申し込んでみたのだ。

「占いを求める人が依存せずに幸せになれるように。そして占い師自身も一緒に幸せになれるような、そんなタロット占い師を増やしていきたい!」というボランタリーな想いで運営されている無料の講座です。

本当に、上記の紹介文にある通りの純粋な願いが伝わってくる内容で、感謝しかない。毎回、食い入るように見て、メモを取り、ワークも熱心にやっている。

自分の人生を、自分の心のコンパスに従って創り上げていくために、タロットをどう活用するか。
自分の現在位置を知り言語化し、潜在意識を知り言語化し、進むべき方向を確認し言語化する。
カードの示す潜在意識がしっくりこなかったら、しっくりくるように再設定することもできる。
その再設定のワークをやっていたとき、思わず泣きそうになってしまって、自分でもびっくりしてしまった。
自分でも気づいていなかった気持ちが、カードによって表出してくる。
言ってしまえば、ただ絵とか数字が描いてあるだけのカードなのに、こんなふうに心を揺さぶることができるって不思議だなあと思う。

もし興味を持たれた方がいらしたら、urlを貼っておきますので、ご覧ください。
次回の申し込みを受け付け中だそうです。

https://sp.iroironoiro.life/tarot_thanks2301

出張床屋

Mさん(男性、80代後半、一人暮らし)が玄関先で髪を切ってもらっていた。若いころ中国を旅していたとき路上床屋をよく見かけたけど、日本ではMさんが初めてだ。前にも見かけたことがあるから、床屋さんは定期的に通ってきているのだと思う。

Mさんのお宅は幹線道路にすぐ面していて、村にしては車通りの多い場所にある。車通りといってもほとんどが地元の人の車で親戚みたいなものだから、髪を切られるほうも恥ずかしくはないんだろうし、見かけるほうも「ああもう自分では床屋に行けないから来てもらって髪を切ってもらっているんだね」と納得する。そんな感じなんだろうな。

昼前の陽がさんさんと降り注ぐ玄関先、椅子に座ってMさんは目を閉じている。いつもの上下ジャージ姿、肩にタオルをかけてもらっていた。
床屋さんは、もうあんまり残っているとはいえないMさんの頭髪を櫛で丁寧に整えた後、小さな毛払いブラシで念入りに首回りや肩先を払う。払っている途中でMさんがすっと立ち上がって、地面を履き始めた。
Mさんはもうしっかりした足取りで歩くことはできなくて、すり足のようにして小股でゆっくりと足を運ぶ。数か月前まではそれでも毎日周囲をのたりのたりと歩いて回っていたが、最近はやめたらしい。見かけなくなった。運転免許はもちろん何年も前に返上している。自分で床屋に通うことはできないのだ。

脇に留めてある床屋さんの自動車にはいくつかの籠が積んであって、そこに髭剃りの道具をしまうのが見えた。髭までそってくれるのかなあ?首筋かしら?
どちらにしても、定期的に髪の毛を整えてもらって小ざっぱりするのって、年をとってからは大切だよなあと思う。自分も年を取ってきて感じることだけど、小ざっぱりしてないとひどく汚らしくみすぼらしく見えてしまう。
Mさんは自分の身なりに頓着する人ではないので、自分で床屋さんに電話して来てもらっているとは思えない。だから床屋さんのほうが気をつけて定期的に通ってきてくれているのだと思う。
商売だからといえばそれまでだけど、身なりにも気を配ってくれる人がいるのはMさんのために嬉しいことだ。床屋さんも村の人で親戚みたいなものだから、気安くいられるし。

 

山仕事の手伝い

手伝ってと言われたので、夫について山に行く。
集材機の据え付けの手伝いと、伐採作業の手伝い。
道路すぐ脇の木を伐採するときに、どうしても道路に木を倒さざるをえない。車が来ると危ないので、車が来るかどうか見張っている役割だったのだけど、まったく車なんか通らない道路だったから、向いの山の紅葉を眺めたり、空を行く鳥の群れを眺めたりしていた。
鳥の群れが膨らんだり塊になったりするのを見ていたら、「鳥ってすげえんだぜ」という川上先生(NHKこども科学相談の鳥の先生)の声が頭で鳴った。人間を基準に考えるから、人間にできないことがなぜ鳥にできるのかという疑問がわいてしまうのだけど、鳥はすごいからすごいことができるのだ、というお話。
サギが杉の梢に留まっているときも、川上先生の言葉を思い出す。だって杉の梢がまっすぐなままで、ちっともかしいでないから。あんなに大きな鳥なのに。

雪虫が1匹飛んでいました。
またグッと寒くなるんだな。

お客さん訪問

うちの炭を使ってくださっているお客さんのお店に配達がてら食事に行きました。今回が初めての訪問です。
頻繁にお邪魔して、お仕事を拝見したり希望を伺ったりして仕事に反映させたいのですが、車で片道3時間近くかかる場所なので、ままなりません。とはいえ炭のお客様のうち、そのお店がうちから一番近いのです。
コロナ禍になってからはなおさら行きづらくなってしまっていました。

開店時刻ちょうどに入店すると、半分以上のテーブルに予約席の札が置かれていました。伺った日は予約が少なくてそんなに忙しくない日だと事前に伺っていたのにこの予約数、お店の人気ぶりを知ると同時に、こんなに大勢の人が気軽に飲食店に集まれるようになっているんだということに驚きました。わたしの暮らす「世の中」と多くの人が暮らす「世の中」はこうも違うんですね。
村では高齢者が多いせいか、まだコロナへの警戒感が強く、人が集まることも遠慮がちにひっそりと行わざるをえません。
ただでさえ静かな山村が、いっそう動きの乏しいひっそりと停滞した場所になっています。

ご店主が焼き台でお仕事なさる姿を拝見しながら食べる鶏の味は最高でした。
料理に舌鼓をうちながら談笑するお客さんたちの様子を眺めながら、こんなに美味しい料理とお客さんの笑顔に貢献できているなんてと幸せを嚙みしめました。

わたしはこんなふうに喜びに満ちた時間と空間のために仕事をしているのです。

サッカーに例えると、焼き台を務める料理人がフォワードで、美味しい料理にお客さんが満足してくださることがゴールです。炭焼き職人や農家さん、焼き台を作る職人さん、調味料を作る人販売する人、それらを運んでくれる運送屋さんなどなど、大勢の人がフォワードに良いパスを送るべく走り回っている、そんなイメージです。
わたしたちの蹴ったボールをうまく使って、お客さんに満ち足りたひと時を提供しているフォワードご店主にも感謝の気持ちでいっぱいになりました。

店を出るとかなりの人通りがあって驚きました。
都会ではもうかなり気軽に出歩いているという噂は耳にしていましたが、目の当たりにすると感慨深いものがありました。
状況は動いているんだなあ。いつまでも閉じこもりっぱなしでいなきゃいけないわけじゃないんだなあ。

 

また心細くなる

もうすぐ90歳になるベテランさんの窯出し加勢に行く。
もう炭は焼かないからこれが最後の窯出しになる、ということで、日ごろ参加しない人も来ていて、総勢10名での窯出しだった。
こんなに大勢で窯出しするのは初めてだ。
最後の窯出しだって、もしちゃんと周知していたら、もっと増えていただろう。
去年炭窯を造成するときにいろんなアドバイスをもらっていた若手の炭焼き夫婦も必ず来たはずだ。優しくて面倒見が良いそのベテランさんの大ファンだと言っていたから。

その炭焼きさんは、幼いころに他県から移住してきた人だ。昔は余所者を除け者にする人も少なくなかったらしく、辛いこともたくさんあったようだ。
財産林や田畑があるわけでもなし、身一つ夫婦二人で働きに働いて子供を育て上げ、奥さんが倒れてからは一人暮らし、辛抱や苦労の多い人生だったはずだけど、そんなものをちゃんと飲み込み消化して血肉としてしまっている穏やかさがある。険がない。
こんなふうに年を重ねられたらなあといつも思う。わたしはすぐカーっとなって、キャンキャン騒いでしまうのだ。夫に対してだけど。

わたしが移住したばかりのころ、こんなに華奢な子が炭焼きなんかできるのかと心配してくれていたらしい。
わたしはもともと骨太筋肉質だから華奢ってことは絶対にないのだけど、炭焼き界では華奢に見えたのかなあ。
「初めて会ったときはやせーて細くて心配だったけど、今じゃねえ」と会うたびに言われる。
ええ、ええ、おかげさまで、「背中に男の筋肉がついている」と鍼の先生に言われるまでになりました。

来年、他県の娘さんのところへ引っ越すそうだ。
「子供らが心配するからね」と話す表情は寂しそうだった。「どうなるか知らんけどね。帰ってくるかもしれんし」
10年くらい前にも一度、病院通いなんかに便利だからと隣の市に引っ越したことがあったが、じきに戻ってきてしまった。やっぱり山の暮らしのほうが良かったのだ。そのころは奥さん共々まだ元気だった。

また一人、頼りにしていた人がいなくなってしまう。
また、と言うのは、先日倒れて入院してしまった人がいるから。亡くなったわけではないけれど、以前にように頻繁に行き来することはもうできないだろう。
いつまでも傍にいて見守ってくれていると思い込んでいるから、いざその人が自分から離れてしまうとなると不安でうろたえてしまう。
自分の上の世代の人がいずれはいなくなって、自分たちがその後を引き継いでいくことになることは頭では理解しているものの、まだ腑に落ちてはいないから、心細いばかりだ。

日誌

出荷準備。
約400キロの炭を箱詰めしてパレットに積む。
運送屋さんの集荷手配。
請求書作成。

仕事して猫と散歩して機嫌とってご飯作って毎日が終わる。

半月といえど光は強く、辺りは青く明るい。裸木の影、猫とわたしの影がくっきりと黒い。
昨日までずっと小春日和だったのが今日になっていきなり寒くなった。
暖かいのが好きなくせに、寒かろうが風が吹こうが必ず外に出かけ、香箱つくって辺りを眺めなくては気が済まない猫。
散歩と言っても実際はじっとしている時間のほうが長いのだ。わたしは凍える。猫はわたしの膝の上でご満悦。
機嫌よければすべて良し。

 

日誌

わたしは炭切。

 

うちの猫が近所の方の庭先に糞をするので室内飼いにしてほしいと言われ、外に出さないようにして約1か月たつが、猫の苦情が毎日ひどく、その対応にいまだ苦慮している。ちゃんと対応しないと夜中でも鳴き続けて人間が不眠症になってしまう。
朝、昼、夕方、晩とリードをつけて散歩させることで、なんとか許してもらっているけど、この散歩に毎日2~3時間かかっている。
猫にしてみれば、毎日6~7時間は外にいたいし、もっと自由にあちこち回遊して回りたいところなので、2~3時間で我慢してくれているということは、本当に寛容なことなのだ。