satoyamahanako’s blog

里山で炭を焼いて暮らしています。

また心細くなる

もうすぐ90歳になるベテランさんの窯出し加勢に行く。
もう炭は焼かないからこれが最後の窯出しになる、ということで、日ごろ参加しない人も来ていて、総勢10名での窯出しだった。
こんなに大勢で窯出しするのは初めてだ。
最後の窯出しだって、もしちゃんと周知していたら、もっと増えていただろう。
去年炭窯を造成するときにいろんなアドバイスをもらっていた若手の炭焼き夫婦も必ず来たはずだ。優しくて面倒見が良いそのベテランさんの大ファンだと言っていたから。

その炭焼きさんは、幼いころに他県から移住してきた人だ。昔は余所者を除け者にする人も少なくなかったらしく、辛いこともたくさんあったようだ。
財産林や田畑があるわけでもなし、身一つ夫婦二人で働きに働いて子供を育て上げ、奥さんが倒れてからは一人暮らし、辛抱や苦労の多い人生だったはずだけど、そんなものをちゃんと飲み込み消化して血肉としてしまっている穏やかさがある。険がない。
こんなふうに年を重ねられたらなあといつも思う。わたしはすぐカーっとなって、キャンキャン騒いでしまうのだ。夫に対してだけど。

わたしが移住したばかりのころ、こんなに華奢な子が炭焼きなんかできるのかと心配してくれていたらしい。
わたしはもともと骨太筋肉質だから華奢ってことは絶対にないのだけど、炭焼き界では華奢に見えたのかなあ。
「初めて会ったときはやせーて細くて心配だったけど、今じゃねえ」と会うたびに言われる。
ええ、ええ、おかげさまで、「背中に男の筋肉がついている」と鍼の先生に言われるまでになりました。

来年、他県の娘さんのところへ引っ越すそうだ。
「子供らが心配するからね」と話す表情は寂しそうだった。「どうなるか知らんけどね。帰ってくるかもしれんし」
10年くらい前にも一度、病院通いなんかに便利だからと隣の市に引っ越したことがあったが、じきに戻ってきてしまった。やっぱり山の暮らしのほうが良かったのだ。そのころは奥さん共々まだ元気だった。

また一人、頼りにしていた人がいなくなってしまう。
また、と言うのは、先日倒れて入院してしまった人がいるから。亡くなったわけではないけれど、以前にように頻繁に行き来することはもうできないだろう。
いつまでも傍にいて見守ってくれていると思い込んでいるから、いざその人が自分から離れてしまうとなると不安でうろたえてしまう。
自分の上の世代の人がいずれはいなくなって、自分たちがその後を引き継いでいくことになることは頭では理解しているものの、まだ腑に落ちてはいないから、心細いばかりだ。