satoyamahanako’s blog

里山で炭を焼いて暮らしています。

針穴ほどの小さな穴でも

地域おこしについて話している最中に、村の人が「世間から後ろ指を指されないように指されないように生きるのが村の生き方なんだよね」と言っていた。うん、まあ、そうですね、と思いつつ、「そうなんですか」と返事をした。
幼い頃、身近に田舎出身の人が多かったので、田舎における世間の目が厳しいことは聞かされて育った。でも実際のところどんなふうなのかは知らなかったから、移住してしばらくはずっと緊張していた。自分たちが普通だと思っていることが、村では非常識なのかもしれない。
炭焼きは地場産業、つまり地元の粘土や岩で炭窯を作り、地元の木で炭を焼くわけなので、地元の人の協力を仰がないことには仕事ができない。後ろ指を指されるような人間に原木を売ってくれる人なんていないだろう。
話を聞きながら、その頃のことを思い出したりした。

世間から後ろ指を指されないことがゴールだと決まっていて、新しいゴールが設定しづらいとなると、決まりきった形が踏襲されていくことになる。自由な発想のチャレンジがしづらい。
若くて優秀な社員から辞めていく会社のパターンだよなあと思う。「後ろ指を指されないようにする」という村の文化が若者を村から離れさせているんだ。
楽しさっていうのは、なにか新しい発見があったり創造があったりするときに感じるものだと思う。新しい何かというのは、風通しの良い場所でなくては生まれない。決まりきった考え、行動を繰り返していては、ただの作業になってしまうから面白さは感じられないのだ。

少し話はそれるけれど、趣味でメダカを飼っていた若者が家族に「そんな収入につながらないことに時間とお金を使うな」と叱られて、メダカを捨ててしまった(どこに?)ケースを2例知っている。彼らは水槽を幾つも揃えて本格的に飼っていた。それは家族の「趣味とはこういうもの」という常識の範囲をはるかに超えていたらしい。
とはいえ、その後、2人ともまた本格的にメダカを飼い始め、他人事ながらとても喜んでいる。
どういう経緯で彼らがまたメダカを飼えることになったのか知らないけれど、飼育を再始動した、その小さな変化は村の現状維持路線に風穴を開ける働きをすると思う。だって世間(家庭は小さな世間だ)の常識に対抗して、自分の意志を通したんだもん。
針穴ほどの小さな穴だろうけれど、そんな穴がたくさん開けば、村の将来も変わってくるはずだ。