satoyamahanako’s blog

里山で炭を焼いて暮らしています。

わたしのチャレンジ

村で暮らし始めたころ、ある集まりに夫婦で参加した。
公民館に到着したとき、広間にはすでに40人くらいの人が集まっていて、数名ずつの塊になっておしゃべりをしていた。
さてどこに座ろうかなと立ったまま空いたスペースを探していたところ、「そろそろ始めまーす」という声。塊になっていた人たちが一斉に立ち上がって、女は全員左側、男は全員右側に移動をし、突っ立っていたわたしの前に通路ができた。
海が割れた・・・モーセの気分だった。
ああ、ここは男と女が真っ二つに分かれる文化なのね、と肚から理解した出来事だった。

世界の他の国々に比べると、日本全国まだまだ性別による区別というのか差別というのか、色濃く残っているけれど、村に来るまでは、ここまで明確に男の世界女の世界が別れていなかった。女であるわたしが自分の意見を述べても違和感を持たれなかった。年齢とか性別とかで私を分類し判断するのではなく、個人としてのわたしを認め、話ができる人がいた。そうじゃない人ももちろんいたけど。
村の女の人のロールモデルって、〇〇家の嫁以外ないのである。だから村に残る女の子って、お嫁さんタイプの子だけなのだ。
そして残念ながらわたしはお嫁さんタイプじゃない。

移住するにあたり、どうしても譲れないこと以外は譲歩しようと決めた。炭の仕事は村の人の協力なしにはできない。村の人に嫌がられて炭の仕事ができなくなると困る。

譲らないと決めたことは、たとえば夫婦別姓
仕事の進め方。最善のやり方はその人独自のものだ。人のやり方をそっくり真似したところで最高の結果は得られない。
お酒を飲まない。
サークルの類には参加しない。
こういうことは村の人に何を言われても馬耳東風で貫き通した。

そのかわり譲ってもいいやと決めたことは大幅に譲歩した。
たとえば、女のわたしは公の場では意見を口にしないようにした。周囲を観察してこの程度ならOKと思われる範囲で口を開くようにした。
悪目立ちして良いことはない。

でももう口の開き時だなと思い始めたのだ。
おとなしくしているのに疲れました。
自分自身で発言し行動してみたくなった。
今はそういうわたしを面白がってくれる人と出会うべく、ちょっと行動範囲を広げ、口数も多くしてみているところです。