satoyamahanako’s blog

里山で炭を焼いて暮らしています。

CQCQ

ブログを始めたのは、コーチングの先生に勧められたからだ。
「あなたはアウトプットが足りない。ブログを書きなさい」と言われたのだ。
文章を書くのは好きではないから、自分からはブログなんて始めない。友人知人の勧めでも書かない。先生に言われたからこそ、である。

アウトプットが目的なので、自分の腹の中を探って表に出たがっているネタを書く。そのほとんどを今まで夫以外の人に話したことはない。

以前、東京から仕事で来た人に、「村で映画について話せる人はいるの?そんなに映画が好きなのに」と言われたことがあったのを今、思い出した。
村に来て夫以外の人と映画の話をしたことはないけど、それは必ずしも村に映画好きがいないっていうことではなくて、話せる人がいるかどうかを確認する気持ちの余裕もない15年だったってことだと思う。映画に限らず、本についても音楽についても。
インプットばかりしてきたのだ。

最近、隣の町のギャラリーに行くということを覚えた。
これまでは美術館で、名作として評価が定まっている作品を静か―に眺め、夫とヒソヒソ話をする楽しみしか知らなかった。美術館が身近にある環境では、それだけでも十分だった。後日、美術館に行ったことについて話せる友達もいたし。
でも今はその楽しみを得るハードルがなかなかに高い。美術館が遠いので、行こうと思うと丸1日仕事を休まなくてはいけないからだ。丸1日休めるように段取りするのが、けっこう面倒なのだ。半日くらいが休みやすい。
それでギャラリー、というわけなのだけど、絵画とか工芸品とかを、店主さんと会話しながら眺めるのはとても楽しい。
「この風景画には人は描かれていませんが、どんな人がこのベンチに座っていたか、想像ができるように感じるんですよ。そこがこの絵の面白さだと思います」と解説されて改めて絵を眺めると、あ、ほんとだ、ここにいたのはお爺さんだと思います、散歩の途中に腰かけたんですね、と見えてくる。
質問もできる。
「昔から静物画ってたくさん描かれてきていますよね?」
「ええ、そうですね」
「どうして画家の方は同じようなモチーフで描いてみようと思うんでしょうか?」
「わたしは絵を描きませんので理由はよくわかりませんが、ただ、技術的な挑戦というのはあるそうです。たとえば、この布の質感とかリンゴの質感をどう出すかとかですね。それから、リンゴが置いてある、その置いてある感じを出すのは大変難しいそうですよ」
「へえ・・・」
絵画を前にして対話することで、新しい見方を発見する。これは初めての体験でワクワクする。
また、「この画家の先生は70歳を過ぎてようやく自分の思うような絵が描けるようになったそうです」なんて聞くと、炭焼きと同じこと言ってるなあと親近感を抱いたりする。30年だったか、40年焼き続けてようやく炭焼きの本当の楽しさが分かり始めたと言っていた人がいたから。(わたしたちはその境地に達することができるのでしょうか・・)
この間、1枚版画を買っちゃった。

ブログを書いていると、なぜか中島みゆきの「CQCQ」という歌を思い出す。
特定の誰かに向けて文章をつづっているわけではなく、広いネット空間にあてもなく自分の文章を送り出している感じがするからかもしれない。
ただ、あの歌の主人公は孤独だけど、わたしは孤独じゃない。
手前勝手な理由で書いている文章なのに、読んでくださる方々がいる。
届いているのだ。
心強い。
ありがとうございます。