satoyamahanako’s blog

里山で炭を焼いて暮らしています。

ノマドランド その1

ノマドランド」
いろんな映画賞を取りましたね。「金融危機により全てを失いノマドになった女性が、生きる希望を求めて放浪の旅を続ける」とYAHOO映画では説明してあります。
わたしは、この主人公の女の人は車上生活をして旅を続けるという形でしか旦那さんの死を悼むことができなかったんだなと思って見ていました。旅に出て初めて旦那さんの死と向き合うことができたのだと。
彼女は旦那さんが亡くなった後もずっと同じ町で暮らし続けたけど、わたしは夫を亡くして一人になったら、村にはいられない。何を見ても夫を思い出してしまって耐えられないから、どこか別の場所に行ってしまうような気がします。車上生活をするかどうかは・・しないかな?車はそんなに好きじゃないし、電車がいいかなあ、のんびり海を眺めながらなどと想像を膨らませていたら気づきました。わたしは電車に乗れないんでした。ホテルも旅館もだぶん無理なんでした。自分が化学物質過敏症なのを忘れていました。車上生活しかないじゃん。ちぇっ。温泉宿巡りなんかしてみたかったけど。
夫は、この女の人はなぜわざわざ車上生活なんかするのか理解できなくて、見ていて息苦しかったそうです。「だって大変じゃーん、あんな不安定な生活」と言ってました。

夫がそのような感想を持つのは、私たちが一時期車上生活をしたことがあるからです。夫はそれに懲りていて、金輪際しないと断言しています。わたしはやらなきゃいけない事情が発生したらやってもいいよ、次はもうちょっと要領よくやれるんじゃないかなと思っています。

体調を崩して東京を離れてからしばらく、親戚の家で暮らしていました。その親戚が他県に異動になって空き家になっていたので、留守番がてら住まわせてもらっていたのです。親戚が戻るまで2年ありましたから、その間体調の回復に努めつつ、次なる仕事と住居を探すつもりでした。
ところがある日、親戚から家に殺虫剤を撒くようにという指示が寄せられました。わたしたちは化学物質過敏症なので、殺虫剤を撒くと住めなくなります、わたしたちが虫退治をするなど他の方法を取ることはできませんかと返信しましたが、断られてしまい、やむなく退去とあいなりました。そのとき無職だったわたしたちは家を借りることができず(不動産屋さんの態度の冷たかったことよ)、車上生活者になりました。
親戚はそのときは化学物質過敏症をよく理解していなかったんじゃないかな。1年後に会ったとき、なんかモゴモゴ言ってました。

殺虫剤を撒くときは立ち合いが必要ということで、遠目に見物していたのですが、消防士さんが放水するみたいに、ホースで殺虫剤を家の外壁に噴きつけている業者さん2人、殺虫剤が2人の上にじゃんじゃん降り注いでいて、大丈夫かなとお2人の健康が心配になりました。いちおう簡易な防護服を着ているとはいえ、顔にはカバーがないので、殺虫剤でビショビショに濡れています。「わたしたちは慣れていますから大丈夫でーす」とおっしゃっていましたが、本当だろうか。
お2人は不動産屋さんに行っても家を貸してもらえるちゃんとした身分の方々で、名の通った大きな会社だったから、それなりのお給料ももらえているはず。無職で体調不良で先行きも不透明の私たちと比べれば社会的成功者なんでしょうけれど、社会的成功のためにあれだけの殺虫剤を浴びなくてはいけないのかと考え込んでしまいました。