satoyamahanako’s blog

里山で炭を焼いて暮らしています。

ラジオの不思議

おとといのブログに書いたことですが、国会中継で天畠議員の質問を聞きながら、わたしは今、天鼻議員のなにに触れているんだろうかと考えたものです。魂っていえばいいのかなあ?ソウル?スピリット?
ご自身で発話できないわけですから、ラジオでは天畠議員の存在を確認できないのです。それなのに議員の熱情というのでしょうか、切れば血が滴るような言葉が胸に響いてくる。
でももしテレビで見ていたら感動しなかったんじゃないかと思うのです。へー、こういう議員さんがいるんだ、で終わっていたような気がします。
ラジオだったから、感じることができた。そういう不思議がラジオにはあると思っているのです。

NHKラジオで時々、「今日は一日〇〇三昧」という特集番組が放送されます。10時間くらいですかね、あるアーティストだったりアニソンだったり、ひとつのテーマに沿った音楽を流す番組です。
10年以上前のこと、「今日は一日忌野清志郎三昧」が放送されました。RC時代からの清志郎ファンのアナウンサーが司会を務め、リスナーからのメッセージやリクエストと、トータス松本とか矢野顕子とか、著名人のエピソードトークとリクエストで構成された番組でした。
その日は窯くべ(原木を炭窯に運び入れる作業)だったので、2人でラジオを聞きながら作業をしていました。わたしたちにも清志郎の曲には思い出があるし、好きな曲もたくさんあります。時に一緒に歌いながら、時にリスナーのメッセージに共感しながら聞いていました。
夕方に仕事が終わって帰宅して入浴、食事、後片づけ、洗濯・・ずっとBGMでラジオをつけていました。家では静けさを好む夫が珍しく、ずっと聞いていたいと言ったからです。電気を消して布団に入ってからも聞き続けていました。

あと30分ほどで番組が終わってしまう、というころでしょうか、息をひそめて番組の終了を聞き届けようとしている大勢の人たちの気配を感じました。広い会館などで大勢の人が集まって同じ気持ちを味わっているときの、あの感じ、あれがわたしたちの周囲にあるのです。わたしたちと同じように、この番組をもっと聞き続けていたい、でも終わっちゃうんだという気持ちでいっぱいの人たちが、残り僅かな時間を味わいつくそうとして息を殺して聞いているのです。
「すごいね」と夫に言ってみました。
「うん、すごい」
「いっぱい人がいるね」
「うん、いっぱいいる」
夫も同じことを感じていたのです。
そのころのわたしたちの家は田んぼの端にポツンと一軒だけありました。ですから家の周囲の人の気配ではないのです。
日本全国でこの番組に聞き入っている人たちが同じ気持ちで連帯しているんだと思いました。
さすが清志郎とも思いました。

ラジオの特別な力を感じた一夜でした。